アユタヤに叛逆した独立国シンゴラ

タイ

 こんにちは、ばんばん@さいあむです。今回はあまり知られていないタイ南部の独立国「シンゴラ」についてお話ししますね。 

 タイ南部ソンクラーいえば、中華風の旧市街&グルメと白砂のビーチが美しい街としてタイ人観光客に大人気です。

 レトロな旧市街なんですが、現在の街が建設されたのは1836年と比較的新しく、それ以前は1000年以上昔から対岸に街が形成され、地の利をいかした海外貿易が盛んに行われていました。

 そんな長い歴史を持つ地域で、全盛期のアユタヤ王朝に刃向かって独立を果たした国がありました。ソンクラーの対岸、現在シン・ナコンと呼ばれる地域にあったシンゴラ国です。

  「シン・ナコン」と聞いてタイ語がわかる方ならピンとくるかもしれませんね。アユタヤの北にある「シンブリー」や、カンチャナブリにあるクメール遺跡「ムアン・シン」と同じ「獅子の町」を意味します。もっと有名どころでは、、、シンガポールも獅子の町ですね。

 はい、「シンゴラ」も獅子の町という意味の古代マレー語だそうです。

シンゴラ国とは?

 ソンクラー国立博物館にあった説明文にWebからの情報を加えてシンゴラ国の概要を説明しますね。

In 1605-1620, “Dato Mogol”, a Malay Muslim established Songkhla (Singora) around Hua Khao Daeng which was conquered by the Kingdom of Ayutthaya. Songkhla, at that time, was considered a prosperous port for overseas international trading. By the time of Sultan Sulaiman. The city was firmly and officially declared independence from the Kingdom of Ayutthaya.

In 1680, in Songkhla at Hua Khao Daeng, King Narai the Great of Ayutthaya sent down navy ship in order to subdue the people and seize power back from Sultan Mustafa, a son of Sultan Sulaiman or King Songkhla I. Finally, victory over Songkhla wass achieved after the forts and the city walls were destroyed.

ソンクラー国立博物館

 1605年にイスラム教徒であるダトー・モゴルがアユタヤ王朝の支配エリアにシンゴラを建国しました。彼は、マレー系だったとも、ペルシャ系だったとも考えられています。

 スルタン・スライマン・シャーの時代に大いに発展し、1642年には、アユタヤ王朝からの独立を宣言します。

 南のイスラム国パッタニーや、アユタヤ王朝配下のナコンシータマラートにまでエリアを広げていったため、アユタヤ王朝から反乱と見なされます。そして1680年、アユタヤ王朝ナライ王が討伐の船団を派遣してシンゴラ国は滅亡。砦や城壁は破壊されました。

 つまり、40年ほどと短い間ではありますが、タイ南部ソンクラーに独立国があったということです。

シンゴラ(シン・ナコン)への行き方と遺跡の回り方

 シンゴラは、バンコクから南へ800キロ、ソンクラー県ソンクラー市のすぐ対岸にあります。バンコクからは、飛行機、列車、バス等で南部の商業都市ハジャイまで行き、そこから頻繁に出ているミニバンでソンクラーまで行くのが一般的です。(下の写真がハジャイのミニバン乗り場、時計台前)

 ソンクラーのフェリー埠頭から、頻発しているフェリー(徒歩だと無料)で5分ほどです。

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 もしくは、160キロほど北にあるナコンシータマラートからソンクラー市に向かうミニバンが途中、シン・ナコンを経由します。

 僕の場合は、ソンクラー旧市街の南からバイクタクシーに乗り、フェリーを渡って一番遠くにある遺跡(後述⑨)まで送ってもらいました。値段を自分から言わない運転手だったのですが、フェリー代金(往復6バーツ)込みで100バーツお渡ししておきました。フェリー待ちの時間を入れると所要30分ぐらいです。

 現地では、山を登って反対側に降りることもあるので、自転車やレンタルバイクではちょっと面倒かもしれません。ちなみに、ソンクラーの旧市街でレンタル自転車をちらほら見かけました。

シンゴラ要塞:カオデーン

 シンゴラ国が築いた城壁や砦の遺構を今でも多数見ることができます。特に①、②、③から⑥については、数百メートルおきに砦の跡が山上まで一直線に続いています。

 山の一番北側にある⑧は、見晴らしが最高なので外せないポイントです。僕がバイクタクシーに送ってもらったのは、港から遠い⑨(一番左)のポイントです。

 この地図の上の山がシンゴラ国時代の遺構で、下の山がそれ以降に街があった場所。そして右側が現在のソンクラーのある半島です。

 今回は、1、3、8、9、12番の遺跡を訪問してきたのですが、そのうち見応えがあった三箇所を次で紹介しますね。

シンゴラ砦 No.1

 栄えある1番には、堀、城壁、砦と城塞都市を感じられる要素が全て残っています。

 左側が約100mの城壁で、正面に見えているのが砦。右側には水をたたえたお堀があります(水草に覆われていますが)。

 城壁は煉瓦を積んだだけといった感じで、数百年後に作られたソンクラーの堅固な城壁に比べるとやはり世代が違います。

 正面の砦から左の山に向かって一直線に2、3、12、15、4、5、6と砦が並びます。1番から15番は平地で、4番から6番は山上にあります。

 上空から見た1番エリアです。上から左下に伸びる黒い部分がお堀で、並行して100mほどの城壁と四角い砦が見えています。

シンゴラ砦 No. 8

 ここは、シンゴラ城塞のシンボルというだけでなく、ソンクラーに遊びに来た際にぜひ行ってみて欲しい場所です。車と一緒にフェリーに乗り、山登りもあるというアトラクションを楽しめます。

 そして、タイの国旗をバックにソンクラー湖とシャム湾の絶景を見ることができます。ちなみに、フェリー乗り場から徒歩5分ほどで登山地点の階段に到着します。

 最近、こういった絶景ポイントで国旗と一緒に写真を撮るのが流行っているような気がします。ナコンサワン県にあるカオノーという岩峰や、ラオス・バンビエンにある岩峰とかですね。

 ここからは、シン・ナコンのモスク、ソンクラー深海港、ソンクラー湖が海につながるポイントを見渡すことができます(ソンクラーの街はちょっと遠くてよく見えません)。

大砲も残っています。向こうの山の麓にあるモスクがいいですね。

 四角い砦がはっきりと見えます。左側にある、Staires trail to the fortlesとマークされているところが階段の入り口です。フェリー乗り場は、道をあと100mほど右へ行ったところになります。

シンゴラ砦 No. 9

 9番砦はとても美しいので、足があればぜひ行ってみたいポイントです。パッとみた感じ、ここはイギリス北部の古城ですか?と聞きたくなるような雰囲気を持っています。

 中に入って上に上がることもできます。

 フェリー乗り場から最も離れているポイントなので、僕はここまでバイクタクシーで送ってもらいました。運転手さんはもちろんこんな遺跡を知らないので、Google Mapでナビしてあげましょう。

 9番砦から山道を10分ほどハイキングすると7世紀頃建設されたと言われる仏塔があります。インド、シュリヴィジャヤ、そしてドヴァラヴァティの影響を受けているとのこと。ここもぜひ訪問してみてください。

まとめ

 今回は、タイの歴史にあまり登場することがない、シンゴラ国とその痕跡について紹介してみましたが、いかがだったでしょうか。

 訪れる観光客はほとんどいませんが、フェリー乗船、軽いハイキング、そしてイングランドを思わせる砦も待っているので、ソンクラーからちょっと足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?

 9番砦とソンクラー側のフェリー乗り場を示しておきますので、あとはGoogle Mapと睨めっこしてみてください。ここから数キロ以内のどこかに王の墓が残っていますよ(僕は行けませんでしたが)。

9番砦

ソンクラー側フェリー乗り場

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